日本でのアーケードゲームの人気

人々の娯楽としてのアミューズメント施設が新たな事業形態として社会的に注目されるようになったのは1931年、東京浅草松屋百貨店の7階および屋上で開業した「スポーツランド」であると言われています。同施設には、親子で楽しめる豆自動車(バッテリーカー)や自動木馬(キディライド)などの他様々な遊具・ゲーム機が設置されました。以後、目覚ましい技術の進歩の中で、メダルゲームやビデオゲーム、体感ゲームなど様々なジャンルが登場。そうした中で、日本のアーケードゲーム機は国内のみならず、世界各国でも注目を集めるようになり、人々の余暇活動の中で確固たる存在感を示し、独自の文化(カルチャー)を育んでいます。

対戦格闘ゲーム時代の到来
90年代に入り、まず巻き起こったのが「対戦格闘ゲーム」のブーム。それまで、対戦相手はコンピューターというのが一般的でしたが、”プレイヤー同士が対戦する”という対戦格闘ゲームのコンセプトは瞬く間に浸透。CG技術の発展もあり人気作が次々と登場する中、各地で熱い対戦が繰り広げられました。その他、女子中高生から圧倒的な支持を得た「プリント倶楽部」のようなシール機、上手なプレイヤー目当てでゲーム機をギャラリーが取り囲んだ「beatmania」等の音楽ゲームも登場し、アーケードゲーム機を楽しむ客層が一気に広がった時期でもあります。

アーケードゲームはオンラインの時代へ
インターネットの普及に伴う高速ネット回線の整備・普及はゲームセンターの遊びを新たな次元へと引き上げました。ネットワークを介した他店舗のプレイヤーとの対戦プレイや協力プレイが可能となり、地域を超えたゲームコミュティが形成されるに至りました。また、こうした最新技術を用いたイノベーティブなゲーム機が人気となる一方、アナログの「カード」を用いてプレイするタイプのゲーム機も登場。その流れからキッズ向けカード機も人気を博し、その礎となった「甲虫王者 ムシキング」の人気ぶりは社会的な話題となりました。

日本でのアーケードゲーム人気の理由
アーケードゲームは日本では下火になることなく人気が続いている理由は、上記でも紹介した通りの日本のメーカーが独自で開発した戦略にあります。
・プリクラ
・UFOキャッチャー
・体感系ゲーム(今の音ゲーも含まれる)
・カード等のモノを使うゲーム

スマホの普及により、プリクラは残念ながら人気は下がっていますが、ゲームセンターでしか体感することの出来ない臨場感あふれるサウンドと迫力のあるゲーム、また、
拳銃などのコントローラーを使ってみんなで楽しめるゲーム、そして年齢を問わず、
多くの人を虜にしているUFOキャッチャーなど、未だに家庭用ゲーム機では体感することの出来ないアーケードゲームは、上手く時代に合わせて差別化出来ていることが人気の理由です。
また、UFOキャッチャーなどは別として、腕に自信がある人だと対戦型ゲームなどは非常にコスパが良いのです。

日本国内では、そんな理由から未だにアーケードゲームは大変人気があります。
決して日本が後進国であるわけでもなく、時代に遅れを取っているわけではなく、
先進国として、日本ゲーミング産業の企業が常に差別化を研究してきているからこそ、
未だにアーケードゲームは日本国内で大人気なのです